昭和時代の名王者を紹介!フライ級・バンタム級王者 ”狂った風車”ファイティング原田、スーパーウェルター級王者 ”炎の男”輪島功一を紹介

世界フライ級、バンタム級、日本で初めて2階級制覇したファイティング原田

ファイティング原田とは、昭和40年代に活躍した日本人ボクサーです。ファイトスタイルは、リングネーム通り、ファイタータイプで、異名が「狂った風車」でした。世界タイトルマッチの解説者を多く勤めていましたので、ご存知の方も多いかもしれませんが、現役時代、実はものすごい実績を残した人物なのです。今回は、ファイティング原田を紹介します。

ファイティング原田のプロフィール

生年月日
プロデビュー
1943.4.5
1960.2.21(17歳・フライ級・4RTKO勝利)
出身地東京都世田谷区
身長・リーチ160㎝・163㎝
スタイル右ボクサーファイター
プロ戦績63戦56勝(23KO)7敗
実績世界フライ級王者
(1962.10.10獲得)
世界バンタム級王者
(1965.5.18獲得・4度防衛)

ファイティング原田は、日本プロボクシング創世期にフライ級からフェザー級で活躍した名選手です。日本で初めてフライ級、バンタム級、2階級を制覇しました。フライ級タイトルは、タイのポーン・キングピッチを11ラウンドKOで下して獲得し、バンタム級タイトルは、当時”黄金のバンタム”と言われたブラジルの最強王者エデル・ジョフレを判定で下して獲得しました。いずれのタイトルマッチも王者が圧倒的有利という下馬評を覆して、打って打って打ちまくるファイトスタイルで、のちに”狂った風車”と呼ばれました。体質的に太りやすく、常に減量との闘いがあって、原田の所属事務では、原田が減量を始めるとジムの中にある水道の蛇口を針金で縛って水がでないようにしたと言われています。原田本人も、減量時代を振返って「水洗トイレの水を飲もうとした。」と語っています。原田は2階級を制覇したあと、階級をフェザー級にあげて、3階級目の世界タイトルを獲得するために、王者ジョニー・ファーメションの地元、オーストラリアシドニーへ乗り込み、試合に臨みました。そのときにも、王者が圧倒的有利とされるなか、原田の”風車”が炸裂し、2R、11R、14Rの3度のダウンを奪いながら、判定にもつれ、敵地での不正ともとれる判定で引き分けとなり、タイトル獲得とはなりませんでした。

世界バンタム級タイトルマッチで対戦した”黄金のバンタム”エデル・ジョフレの生涯戦績は、78戦72勝(50KO)2敗4分でした。ジョフレの2敗は、何れもファイティング原田につけられた敗戦です。エデル・ジョフレは、原田に敗れたあとフェザー級に転向し、世界チャンピオンになっています。

ジュニア・ミドル級世界タイトルを3度獲得した”炎の男”輪島功一

生年月日
プロデビュー
1943.4.21
1968.6.15
(25歳・ウェルター級でデビュー後7連続KO)
出身地樺太(ソ連に占領され北海道士別市へ移住)
身長・リーチ171㎝・不明
スタイル右ボクサーファイター
プロ戦績38戦31勝(25KO)6敗1分
実績WBA・WBCジュニア・ミドル級王者
(1971.10.31獲得・6度防衛)
 カルメロ・ロッシに15R判定勝利
WBA・WBCジュニア・ミドル級王者
(1975.1.21獲得)
 オスカー”ショットガン”アルバラート
WBAジュニア・ミドル級王者
(1976.2.17獲得)
 柳済斗に15RKO勝利

輪島功一がデビューしたのは25歳、当時は非常に遅いプロデビューでした。輪島はプラス思考の持ち主で、「25歳でのデビューは、人生経験を試合に生かせるから有利だと考えた。」と語っています。試合でも、ほかの人では考えつかないような戦いぶりで、対戦しているときにいきなりかがみこんで、ジャンプしながらパンチを放つ「かえる飛び」をみせるなど、変則なファイトスタイルを得意としました。最初に獲得したタイトルの7度目の防衛戦で”ショットガン”の異名をもつオスカー・アルバラートに痛烈なKO負けを喫し病院送りになりましたが、7か月後にアルバラートと再戦し、15ラウンド判定勝利し雪辱を晴らしました。2度目に獲得したタイトルは柳済斗に7ラウンドKO負けで失いましたが、8か月後、柳と再戦し15ラウンドKOして奪い返しました。一度負けた相手と再戦して勝利する輪島功一は人懐っこさもあいまって、全国で大人気を博しました。