日本プロボクシング界のカリスマ辰吉丈一郎。波乱万丈のボクサー人生を紹介!
「浪速のジョー」と呼ばれ、数々の名勝負でファンを魅了した辰吉丈一郎。息子、辰吉寿以輝もプロボクサー。
ボクシングファンは一度は耳にしたことがある名前かもしれません。「浪速のジョー」と呼ばれ、数々の名勝負、劇的な試合で多くのファンを魅了しました。彼のボクサー人生は波瀾万丈で激戦による網膜剥離でJBCから引退勧告を受けても海外で戦い続け、世論を味方に日本での復帰をJBCに認めさせました。50歳を超えた今も現役にこだわり、トレーニングを続けています。
彼の影響を受けボクサーを目指した若者は数多く、その中には世界チャンピオンまで上り詰めた者もいます。辰吉丈一郎の名はそういった人たちによって語り続けられています。
※ 辰吉寿以輝の記事はこちら
辰吉丈一郎プロフィール
| 生年月日 プロデビュー | 1970.5.15 1989.2.29(6回戦・2R KO勝ち) |
| 出身地 | 岡山県倉敷市 |
| 身長・リーチ | 164㎝・175㎝ |
| スタイル | 右ボクサーファイター |
| アマ戦績 プロ戦績 | 19戦18勝(18KO・RSC)1敗 28戦20勝14KO7敗1分 |
| 実績 | 元WBCバンタム級王者 (1991.9.19獲得) 元WBCバンタム級暫定王者 (1993.7.22獲得) 元WBCバンタム級王者 (1996.11.22獲得・2度防衛) |
辰吉丈一郎の次男、辰吉寿以輝の記事はこちらへ
名勝負・劇的な試合
1990年9月11日
日本バンタム級タイトルマッチ
王者 岡部 繁
辰吉丈一郎がプロ4戦目で日本タイトルマッチのリングにたち、王者岡部を4RKOに下しました。
1991年9月19日
バンタム級タイトルマッチ
王者 グレグ・リチャードソン
プロデビュー後約2年、8戦目で世界タイトル初挑戦となった試合でした。アマ275戦、プロ33戦のキャリアをもつテクニシャンの王者リチャードソンを終始攻め続け、10R終了後、王者が試合を放棄、辰吉のTKO勝利となりました。
この試合後の12月、左眼の異常を感じた辰吉は、病院の検査で網膜裂孔と診断され、1年間のブランクを余儀なくされました。辰吉が休養王者となったため、暫定王座が設けられ、ビクトル・ラバナレスが暫定王者となりました。
1993年7月22日
バンタム級暫定王座決定戦
ビクトル・ラバナレス
1992年9月のWBC王座統一戦で対戦し敗れたラバナレスと再戦しました。フルラウンドの激闘の末、辰吉が僅差判定で勝利しました。
この試合後、9月、辰吉は再び左眼の異常を感じ、検査の結果、網膜剥離が判明しました。当時の日本ボクシングコミッション(JBC)ルールで試合ができなくなり、事実上の引退の危機に陥ったのです。辰吉はこのとき、暫定王座を返上しました。
1994年7月2日ハワイ開催
バンタム級12回戦
世界ランク14位ホセフィノ・スアレス
網膜剥離の手術が成功した辰吉は、引退を拒否し、帝拳プロモーションのバックアップにより、ハワイで復帰戦を行い、3ラウンドKOで勝利しました。この試合を行ったことで、WBCから、返上していた暫定王座を再び与えられました。JBCも特例として辰吉の現役続行を認めました。
1993年12月4日
WBCバンタム級王座統一戦
正規王者 薬師寺保栄
戦前は暫定王者の辰吉が圧倒的に優位であるという大方の予想のなか、両者はフルラウンドの打撃戦を展開しましたが、正規王者の薬師寺保栄が試合を優位に進めました。薬師寺のトレーナーであった「策士」マック・クリハラは、徹底的に辰吉の眼を狙う作戦を立て、薬師寺は忠実にそれを実行しました。勝敗は判定までもつれ、僅差判定で薬師寺が勝利しました。辰吉はタイトルを失いました。
1996年3月3日
WBCスーパーバンタム級タイトルマッチ
王者 ダニエル・サラゴサ
変則でサウスポーのサラゴサは、正統派スタイルのボクサーにめっぽう強く、日本の畑中清司を手玉にとった難敵でした。この試合は、序盤からほぼ一方的に辰吉が打ち込まれ、11ラウンドTKOに敗れました。約1年後、王者であったサラゴサと再戦。倒されることは辰吉の意地で何とか免れたものの、内容は完敗でした。辰吉のボクサー人生は、誰もが「終わった」と感じた試合でした。
1997年11月22日
WBCバンタム級タイトルマッチ
王者 シリモンコン・ナコントンパークビュー
王者シリモンコンは、当時20歳、16戦全勝6KOと新進気鋭の若きチャンピオンとして評価が高く、辰吉の挑戦は無謀と考える関係者も多く、辰吉圧倒的不利とみられていました。試合が始まってみると、予想外に辰吉のボディ攻撃が冴え、5ラウンドに王者がダウンしました。しかし、6ラウンド以降、王者が攻勢に転じ、辰吉をダウン寸前まで追い込み、「辰吉もここまでか」という雰囲気のなか、7ラウンドに辰吉のボディブローで王者が2度目のダウン。王者が何とか立ち上がったところに、辰吉が最後の力を振り絞って追撃し、レフリーが試合を止めました。辰吉が圧倒的不利との大方の予想を覆してTKO勝利をおさめ、辰吉丈一郎の伝説の一戦になりました。
1998年12月29日
WBCバンタム級タイトルマッチ
ウィラポン・ナコンルアンプロモーション
シリモンコンを倒して獲得したバンタム級王座3度目の防衛戦でウィラポンを迎えました。ウィラポンはムエタイで100戦以上を戦い3階級を制覇したのち、ボクシングへ転向した選手です。ボクシング4戦目でWBAバンタム級タイトルを獲得しました。初防衛戦でナナ・コナドゥに敗れてタイトルを失ったあと、連勝を重ね、22戦目で辰吉がもつWBCタイトルへの挑戦となりました。ウィラポンの強さは際立っていたため、ウィラポン優勢との大方の予想でした。試合は、予想通り、ウィラポンの攻勢は凄まじく、辰吉を一方的に追い込み、6ラウンド、辰吉丈一郎はウィラポンの強打で立ったまま失神し、そのまま、後方へ倒れ込み、レフリーはカウントをとらずに試合を止めました。
8か月後、辰吉は王者ウィラポンに挑戦しましたが全く歯が立たず、ウィラポンの返り討ちにあい、7ラウンドにノックアウト負けを喫しました。

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